リンカーンと言えば、誰もが「黒人奴隷を解放した偉大な大統領」「南北の分裂を防いだ大統領」などと思っているのではないでしょうか。
確かに、アメリカ合衆国第16代大統領リンカーンは南北戦争の最中、奴隷解放宣言というものを出したことで知られていますよね。
しかしそんなリンカーンは、実はインディアンに対して達は徹底的に迫害をしていたと言われています。
それは一体どういうことなのでしょうか。
ここではリンカーンと黒人、そしてインディアンの関係について解説します。
目次
黒人奴隷を解放
もともとリンカーンは徹底した黒人奴隷の反対論者ではなかったと言われています。
確かにリンカーンの伝記などにはリンカーンがケンタッキー州で奴隷市場を見て衝撃を受け、奴隷制を廃止することを決意したというように書かれていますが、実はリンカーンは奴隷制に対してそこまで反対はしていませんでした。
しかし、南北戦争において北部が窮地に追い込まれていく中、また他の国々が南部や北部の味方をしようとしている中で黒人を解放し、南部と北部の分裂を防ぎ、黒人奴隷の問題をあくまでも国内の問題に留めたたのです。
つまり、1863年に出された奴隷解放宣言というのはあくまでも政治戦略的なものだったとも考えられるのです。
インディアンの迫害
リンカーンがインディアンを迫害していた理由は実は明らかになっていません。
リンカーンの父方の祖父はインディアンに殺されましたが、その時はまだ、リンカーンは生まれていませんでした。
ただし、リンカーンが弁護士として活躍していた頃、インディアンに対して嫌悪感をあらわにしていたと言われています。
もしかしたらリンカーンの父親がリンカーンの祖父の話を何度も話して聞かせたのかもしれません。
また、ホームステッド法というのはリンカーンが大統領と勤めていた時に出された法律ですが、これはインディアンの社会慣習や文化をしてさせ、農業を押し付けるというものですから、やはりインディアンが嫌いだったと言えるでしょう。
インディアン側の訴え
ホームステッド法が出されたことにより、ミネソタ州のインディアンたちは年金や食料の配給を止められたことに腹を立て、暴動を起こしました。
しかしリンカーンはこれを止めなかったと言われています。
もともとインディアンたちは白人に攻撃を仕掛ける事はほとんどなかったと考えられていますが、このときばかりはミネソタ州のインディアンたちが戦争と生して攻撃を仕掛けたのです。
その結果、インディアン2,000人のうち392人が裁判にかけられてしまい、38人が処刑されることになりました。
アメリカ史上最大の処刑だったと言われています。
まとめ
いかがでしょうか。
リンカーンは確かに黒人たちを解放した人物ですが、インディアンに関しては嫌悪感を抱いていた人物でした。
まだまだ人は皆平等と言われても、その「人」というのは白人男性のみをさす時代でしたから、仕方がなかったのかもしれませんね。