リンカーンはどのような人物の息子だったのでしょうか。
政治家と聞くと、どうしてももともと政治家の家庭に生まれた、裕福な家庭で育った、好きな大学にいかせてもらった、というイメージを持つ人もいるかもしれませんね。
しかし、少なくともリンカーンはそのような育ち方はしませんでした。
それならば、リンカーンの両親とはどのような人物だったのでしょうか。
ここではリンカーンがどのような人物の息子だったのか、ということについて解説します。
父、トーマス・リンカーン
リンカーンはトーマスという人物の息子でした。
トーマスは農夫であり、イングランド系移民の子孫でもあります。
教育は必要ないと考える人物であり、農夫の仕事に誇りを持っていました。
リンカーンは幼い頃から本が好きで、農作業をしながらも本を離さない人物だったため、トーマスはそのような息子を決してよく思っていなかったと言われています。
妻でありナンシーがミルク病にかかって命を落としますが、その後で再婚したサラという人物には、息子は本ばかり読んでいて困った奴だ、と紹介したと言われています。
父親との親子関係の悪化
リンカーンは父、トーマスの奴隷のような存在だったと言われています。
父であるトーマスは徐々に視力が低下し、体調を崩してしまったことにより農作業を息子に頼りました。
しかし息子は教育を重視し、教育は必要がないと考える父親と対立することになってしまったのです。
リンカーンが学問を続けることができたのは、父親の再婚相手であるサラが教育に理解を示していたからでした。
サラはトーマスに対し、これからも学問が必要である、リンカーンに勉強をさせてやってほしい、と頼んだのです。
実の母、ナンシー
リンカーンの実の母であるナンシーはリンカーンが9歳の時、毒草を食べた牛乳を飲んだことによってミルク病にかかり、34歳という若さで死亡しました。
それ以降は2歳年上の姉がリンカーンの面倒を見ていましたが、10年後、姉は死産してそのまま亡くなりました。
その後、トーマスが3人の子供を持つ同じく未亡人のサラと再婚したわけですが、リンカーンとサラの関係は極めて良好であり、リンカーンは彼女のことをお母さんと呼んで慕ったと言われています。
リンカーンの父親であるトーマスは息子は怠け者だと思っていましたが、サラが理解を示したことによりリンカーンは逆に農作業などを手伝うようになったのです。
まとめ
いかがでしょうか。
リンカーンの息子たちが若くして亡くなったというのは有名ですが、リンカーンの父の話はあまり聞くことがないかもしれませんね。
教育は必要ないと考える父親のもとで育ったにもかかわらず、自分の力で大統領にまでなったリンカーンは本当に努力の人だったと言えるでしょう。