リンカーンは1865年4月1日に暗殺されました。
貧しい生まれでありながら自分で勉強し、弁護士という地位にまで上り詰めたリンカーンは南北戦争において南部と北部の分裂を防いだ大統領としても尊敬されていますね。
そんなリンカーンは1865年にジョン・ブースという人物によって暗殺されました。
リンカーンの死はアメリカにとっては大きなショックでしたが、特に妻メアリーは息子2人亡くした後で夫のリンカーンを亡くし、さらにその後で1番末の息子をなくし、最終的には長男によって精神病院に入れられるほど大きなショックとなったのです。
そんなリンカーンの暗殺には謎がいまだにたくさんあります。
ここではリンカーン暗殺の理由の謎とリンカーンが暗殺された場所、そして犯人について紹介します。
リンカーン暗殺の理由
リンカーンが暗殺された理由というのは必ずしも明らかになっているというわけではありません。
リンカーンを暗殺した犯人であるジョン・ブースは、もともとは南北戦争の最中にリンカーンを誘拐し、政府が確保している南部の捕虜たちを解放させようとしていました。
しかし戦争が進み、南北戦争が終わってしまったことによって既にその試みは実行できなくなったのです。
そしてリンカーンが黒人に参政権を与えるという演説を聞いたことにより、ブースの心に殺意が宿ったと考えられています。
しかし、それ以外にもリンカーンがグリーンバック紙幣という公共紙幣を作ったことにより、銀行家たちの怒りを煽って殺害されたのではないかとも考えられています。
また、例えば映画「ナショナルトレジャー」などがリンカーン暗殺を扱っていることにより、なおさら暗殺の理由が謎と捉えられているという一面もあります。
リンカーンが暗殺された場所
リンカーンは1864年、ワシントンD.C.のフォード劇場という場所で暗殺されました。
犯人はジョン・ブースという人物で、午後10時ごろに撃たれたと考えられています。
犯人であるブースは、リンカーンと副大統領、そして国務長官を暗殺すれば合衆国政府を混乱させることができると考えていました。
リンカーンと妻のメアリーは、南北戦争のストレスとこれより3年前、三男のウィリー・リンカーンを亡くしたショックから立ち直ることができず、精神的にリラックスするためにこのフォード劇場という場所を訪れていたと言われています。
ボックス席に入り、リンカーンは左側の椅子に座りました。
そこに犯人のブースが現れたのです。
リンカーンの暗殺
犯人のブースはデリンジャー銃を使い、大統領の背後から後頭部を撃ちました。
大統領は椅子に座ったまま前のめりになり、しばらくはまだ生きていましたが翌日、午前7時22分に息を引き取りました。
ラスボーンに取り押さえられようとしたところでブースは舞台に飛び降りました。
そこでナイフを掲げて観客に向かい、「僕はかくの如し」とラテン語で叫んだと言われています。
ただし、これに関しては「南部は復讐を果たした」と述べたという説もあり、今のところ謎のままになっています。
ちなみに、もしも今の時代にリンカーンがこのように打たれていたら、リンカーンは命を取り留めただろうと考えられています。
まとめ
いかがでしょうか。
リンカーンの暗殺に関してはいまだにいくつか謎が残っていますし、映画に謎が残っているかのように描かれていることもあり、様々な伝説が残されています。