リンカーンが大統領選挙に出るために行った政策とは

1860年、リンカーンは大統領選挙に出馬しました。

これは南北戦争のポイントとなっており、政党政治は4つに分かれていたと考えられます。

もともと奴隷制度を承認していた民主党と、批判していた共和党でさえも2つずつに分かれていました。

州が持つ権限と新しい領土における奴隷制をどうするかということで意見が分かれ、リンカーンは大統領選挙に出馬したのです。

それでは、リンカーンは大統領選挙に於いてどのような政策を練ったのでしょうか。

ここではリンカーンの政策について解説します。

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1860年の大統領選挙

まず1860年の大統領選挙に出馬していたのはもちろん共和党のリンカーンとジョン・ブレッキンリッジという人物でした。

ブレッキンリッジは南部民主党に属しており、奴隷制を承認する立場に立っていました。

南北戦争の中心となった大統領選挙かと聞くとどうしてもとても盛り上がった選挙なのかと感じるかもしれませんが、実は1856年の大統領選挙の方が盛り上がっていたと考えられています。

この頃は共和党が改革を訴えており、民主党が内戦の危機を唱えていました。

しかし1860年は共和党がほとんど北部を抑えていたため、負けるはずがない状態だったのです。

リンカーンは一般投票では過半数に達することができませんでしたが、選挙人投票では過半数に足していました。

リンカーンはなぜ勝つことができたのか

リンカーンが出馬した大統領選挙について考えると、どうして学歴等がないリンカーンが勝利できたのか、ということに関心を持つ人もいるかもしれません。

どうしても政治家というのは代々政治家の家系であったりして豊かな家で生まれ育った人も多いですよね。

しかし、リンカーンは貧しい家で生まれ、父親に至っては学問なんて必要ないと考える人物でした。

父親の再婚相手が教育に熱心だったため、リンカーンは興味を持っていた学問を続けることができたのです。

奴隷解放宣言を出した人物だと聞くと、リンカーンは奴隷制に激しく反対していたと感じるかもしれませんが、リンカーンは極めて中道派でした。

それがリンカーンを大統領にすることができた理由であると考えられています。

イリノイ出身だった

リンカーンは南部の中西部で生まれ育ちました。

イリノイ州というのは極端に奴隷制に賛成だったわけでも反対だったわけでもないのです。

これは政策というわけではありませんが、少なくともリンカーンが大統領になる上では重要であったと考えられています。

また、大統領選挙の政策としては出身地を強く押し出すことにより、大統領は中間的な立場にいる人間だということを人々に知らしめることができたと言えるでしょう。

まとめ

いかがでしょうか。

大統領選挙はリンカーンができな勝利をもたらし、そのリンカーンによって1863年、奴隷たちは無償で解放されました。

実際にアメリカにおいてもリンカーンは南北の分裂を防いだ大統領として尊敬されています。

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