リンカーンの妻、メアリー・トッドは悪妻としても知られています。
もともと大統領夫人、ファーストレディーになるということが夢だったメアリーは、上流階級出身にもかかわらずなぜか隣家に言い寄ったのです。
彼女のマナーは決して良いとは言えず、リンカーンは会うたびにあまり良い印象を持たなかったと言われています。
それなのに、最終的にリンカーンはメアリーと結婚しました。
それならば2人の結婚式とは一体どのようなものだったのでしょうか。
ここではリンカーンとメアリーの結婚式について解説します。
結婚に至るまで
リンカーンは恋愛に関してはかなり奥手だったと言われています。
1834年、衆議院時代に女性と知り合い、恋に落ちたのですが、彼女はチフスにかかって命を落としました。
そのためにリンカーンはさらに慎重になってしまい、結婚前提に女性と付き合ったにもかかわらず一方的に婚約破棄をしてしまったのです。
そして1839年にメアリーと出会い、翌年に婚約しましたが、また婚約破棄をしてしまいました。
しかしメアリーがリンカーンとパーティーで出会ったことをきっかけとし、アプローチし続け、1842年に結婚式を挙げるに至ったのです。
結婚式の延期
もともとリンカーンとメアリーは1841年1月1日に結婚式を挙げる予定でした。
しかしリンカーンが申し出たことによって婚約が破棄されてしまい、最終的には1842年11月4日、スプリングフィールドにあるメアリーの姉妹の家で結婚式が行われたのです。
結婚式の準備をしている最中もリンカーンはメアリーとの結婚について悩んでおり、周りに「地獄に向かっている」と漏らしたと言われています。
メアリーがリンカーンを大統領にした!?
確かにメアリーは悪名高い人物でしたが、実は彼女こそリンカーンを大統領にした張本人だとも言われています。
まず、メアリーはリンカーンのことを「大統領になれる男性」と見抜いていました。
結婚式を挙げた頃のリンカーンは州議院議員であり、収入も少なく、その結婚生活はメアリーにとっては今までの生活と全く違うものだったのです。
しかしメアリーは慣れない家事を行いながら、リンカーンには厳しく対応しました。
洗練された服装をするように述べ、積極的に有名人たちにリンカーンを紹介しました。
リンカーンがメアリーに口答えをした時は熱いコーヒーをかけられたというエピソードもあります。
いくら奴隷解放宣言を出したとしても、リンカーンはもともと奴隷制度の皇帝はでした。
しかしメアリーがアドバイスをしたことによってリンカーンは奴隷解放宣言を出そうと決めたと言われています。
つまり、南北の分裂を防げたのはメアリーのアドバイスのおかげだったのかもしれません。
まとめ
いかがでしょうか。
彼らの結婚式は延期されてしまったことにより、なんとなく不吉な印象を周りにもたらせました。
しかし、確かにメアリーは恐妻でしたが、リンカーンを大統領にした有能なファーストレディーだったとも言えるでしょう。