リンカーンが奴隷解放のために行った政策とはどのようなものだったのか

アメリカ合衆国第16代大統領のリンカーンは、南北戦争中の大統領でした。

彼自身は黒人奴隷制度に対し、必ずしも「今すぐに奴隷制度を廃止しなければいけない」という考えの持ち主ではありませんでしたが、少なからず奴隷制度を実行している州に対し、干渉しないという立場を貫こうとしていました。

しかしそんなリンカーンは徐々にそのような考えを改めるようになります。

具体的に、リンカーンが出した政策はどのようなものだったのでしょうか。

ここではリンカーンが奴隷解放のために出した政策について解説します。

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リンカーンが楽観的な考え方に気づいたタイミング

もともと即時奴隷制廃止論者ではなかったリンカーンがなぜ奴隷制を廃止しようと考えたかいうと、そのきっかけは1854年、カンザス・ネブラスカ法が成立し、ミズーリ協定が否定され、奴隷州と自由州のバランスが崩れそうになったことでした。

カンザスとネブラスカは 住民投票によって奴隷州か自由州か決められるということになり、もともと奴隷州が11、自由州が11と保たれていたバランスが崩れそうになったのです。

さらにドレッドスコット判決が出されたことにより、ミズーリ協定が憲法違反となされ、自由主義でも奴隷の所有が認められるようになりました。

これらは奴隷制の拡大を求める民主党の勢いに沿ったものであり、奴隷制に反発する人々が共和党に集まり、南北戦争のきっかけとなってしまったのです。

リンカーンの共和党への参加

リンカーンが奴隷制をなくすために行った政策の1つは、まず当然ながら共和党に参加するということでした。

もともとホイッグ党の党員でしたが、ホイッグ党は奴隷制に関して意見が分かれてしまい、内部が分裂したことによって弱体化してしまったのです。

リンカーンは独立宣言で述べられている「すべての人間は平等である」という原則のもとに成り立っているアメリカ合衆国を1つにまとめるため、共和党の結成に加わりました。

ですから、リンカーンの政策の第一歩は共和党に加わったことだと言えるでしょう。

奴隷解放宣言を出す

南北戦争が始まってからは、奴隷解放には明確な態度を示していませんでした。

むしろ、即時奴隷解放を主張する人々はリンカーンの曖昧な態度を批判している位です。

しかし、リンカーンにとっては奴隷制を廃止してしまうと、中立を保っていたデラウェア、メリーランド、ケンタッキー、ミズーリを敵に回してしまうのではないかという不安があり、態度を明確にすることができなかったのです。

しかし南北戦争が深刻化し、イギリスやフランスが南部を支持するようになったことにより、北部を率いていたリンカーンは窮地に立たされました。

そのため、南北戦争で勝利する政策の1つとして奴隷解放宣言を出したのです。1862年9月に奴隷解放宣言の予備宣言を行い、翌年1月1日で黒人奴隷を無償で解放することを決めました。

まとめ

いかがでしょうか。

リンカーンというと奴隷を解放した大統領として知られていますから、とても人道的な大統領だったというイメージを持っている人もいるかもしれません。

しかし、実は奴隷解放宣言というものは戦争に勝つための政策の1つだったのです。

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