リンカーンが南北戦争の最中に行ったゲティスバーグ演説というものを聞いたことがあるでしょうか。
ゲティスバーグ演説という言葉は知らなかったとしても、「人民の人民による人民のための政治」という言葉は聞いたことがある人もいるかもしれませんね。
中学校や高校の生徒会選挙においてこの表現が引用される場合も少なくありません。
それならば、リンカーンの南北戦争中におけるこのゲティスバーグ演説とは一体どのようなものだったのでしょうか。
ここではゲティスバーグ演説について解説します。
ゲティスバーグ演説とは
この演説は、1863年11月19日、ペンシルベニアのゲティスバーグにおいてリンカーンが行った演説です。
リンカーンは適切な短いスピーチをするようにと依頼されており、実際にこのスピーチは2分に満たないほどの短いものでした。
272語しかなく、極めて簡潔なスピーチであったと言われています。
その一方でこのスピーチは非常に重要なものとされており、歴代大統領の演説の中でも有名です。
歴史的には1776年のアメリカ独立宣言や1783年の合衆国憲法と並んで大切なものだと考えられています。
ただし、この時代はマイク等がありませんでしたからリンカーンが演説を始めた時にカメラマンたちが気づかなかったということもあり、演説をしている最中のリンカーンの写真はほとんど残っていません。
「人民の人民による人民のための政治」
リンカーンのゲティスバーグ演説には、「人民の人民による人民のための政治」という有名な文言があります。
この表現は民主主義の原則を表したものであり、日本国憲法にも生かされていると考えられています。
例えば、「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」という部分はこのゲティスバーグ演説から来たと考えられているのです。
この表現はどこから来たのか
この有名な「人民の人民による人民のための政治」という表現はリンカーンが初めて作り上げたものではありません。
そしてリンカーンの側近らが作ったものでもないのです。
600年ほど前、ジョン・ウィクリフという人物が聖書翻訳しました。
その中には「この聖書は人民の人民による人民のための統治に供するためにある」と書かれています。
このリンカーンのゲティスバーグ演説はここからきたと考えられているのです。
つまり、リンカーンがゲティスバーグ演説で用いた表現は聖書から来たものであり、聖書が重視されているということがわかります。
まとめ
いかがでしょうか。
リンカーンが南北戦争の最中に奴隷解放宣言を出したことなども非常に有名ですよね。
リンカーンは南北戦争によって南北が分裂しそうになった状態を改善させ、国をまとめた大統領としても尊敬されているのです。