リンカーンというのは自由と平等を求めた人物として、そしてそれを実践した人物として知られていますね。
それは南北戦争中に出した奴隷解放宣言にも表れていますし、あの有名なゲティスバーグ演説にも表れています。
それならば、リンカーンは平等をどのように捉えていたのでしょうか。
そしてそれをどのように実践したのでしょうか。
ここではリンカーンと平等について解説します。
目次
独立宣言の解釈
アメリカ合衆国はもともとイギリスの植民地でした。
しかし、その植民地が立ち上がって独立戦争を起こし、1776年7月4日にはアメリカ独立宣言というものを発布したのです。
そこには全ての人は皆平等であるという文言がありました。
しかし、ここに書かれている全ての人というのは白人男性のことを指していたのです。
ですから、その独立宣言が出された後も黒人たちは差別を受けていましたし、女性たちも男性と同じような扱いはされていませんでした。
むしろ建国の父と呼ばれる初代の大統領たちは奴隷制度を容認していたとさえ言われています。
奴隷解放を決意
そんなリンカーン大統領は、消して奴隷制の即時廃止論者ではありませんでした。
むしろ必要ならば止む無しと考えており、だからこそ、大統領選挙に勝利できたとも考えられています。
もしもリンカーンが奴隷制の即時廃止論者であったりしたら、大統領戦では勝てなかったかもしれません。
しかし、そんなリンカーンは奴隷州と自由州のバランスが取れなくなり、南部の分裂が起こることを恐れ、政治的意図を持って奴隷解放宣言を出すことに決めました。
奴隷は無償で解放されるということを決め、黒人を平等に扱うということを決意したのです。
それによって内戦は治まり、南北の分裂を防ぐことができました。
キング牧師の活躍
リンカーンが活躍した約100年後、アメリカ合衆国では公民権運動というものが起こりました。
黒人たちが自分たちの権利を求め、様々な活動を開始したのです。
その時に指導者となったのがキング牧師という人物でした。
キング牧師は「私には夢がある」という有名な演説を残していますね。
確かにリンカーンが黒人たちを平等に扱うと決め、奴隷解放を決意したにもかかわらず、黒人たちは決して白人と平等に扱われていたわけではなかったのです。
しかし、リンカーンが奴隷解放宣言を出した100年ほど後、キング牧師たちが活動起こしたことにより、合衆国憲法の修正条項が付け加えられました。
それによって黒人たちに参政権などの市民権が与えられたのです。
まとめ
いかがでしょうか。
リンカーンが黒人たちの平等を決めたからといってその後黒人が革新と平等に扱われたというわけではありません。
その後も多くの人の活躍があり、今の平等な社会が出来上がっています。
しかし、リンカーンは確かにその活動に寄与した人物であり、これからもその活動は新しい世代によって続けられなければいけないと考えられています。