リンカーンの子孫について

リンカーンの子孫には一体どのような人たちがいるのでしょうか。

例えば、リンカーンと共通点が多いと言われる第35代合衆国大統領ケネディは、4人子供がいましたが、3人が若くして命を落としてしまい、唯一の1人はキャロライン・ケネディとして駐日大使を務めましたよね。

広島や長崎を訪問した大使としても知られています。

それならばリンカーンの子孫にはどのような人たちがいるのでしょうか。

ここではリンカーンの子孫について解説します。

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4人の息子たち

リンカーンには1843年に長男のロバート、1846年には次男のエドワード、1850年に三男のウィリアム、そして1853年に四男のタッド生まれました。

しかし、この4人の息子たちは3人が若くして亡くなります。

次男のエドワードは病気にかかり、3歳で命を落としました。

結核が原因だったと考えられています。そして三男のウィリアムは11歳で同じく病死しました。

おそらく腸チフスだったのではないかと考えられています。

特に彼はリンカーン夫婦のお気に入りだったため、ウィリアムが命を落とした時、リンカーンは「彼が死ぬのは辛い」と悲しみを表しており、妻のメアリーは葬儀に出席できないことだったと言われています。

さらに四男のタッドは心不全にかかり、18歳で命を落としました。

長男のロバートについて

長男のロバートだけはリンカーンとメアリーの息子で唯一成人するまで生き延びた1人です。

父と同じく共和党に所属し、ガーフィールド大統領、アーサー大統領のもとで第35代アメリカ合衆国陸軍長官を務めました。

さらにプルマン・パレスカー社の社長にも任命されており、彼の別荘であるヒルデンはアメリカ合衆国国家歴史登録済として登録されています。

父であるリンカーンが暗殺された夜、ロバートは父から一緒に観劇に行かないかと誘われましたが、疲れが溜まっていると断りました。

父が命を落としたと聞いたときには公然と泣き崩れたと言われています。

母、メアリーとの関係

リンカーンが暗殺される前に2人の息子が命を落とし、夫であるリンカーンが暗殺されたことによってメアリーは悲しみのどん底に沈みました。

そしてその後で四男のタッドが命を落としたことにより、メアリーは悲しみに打ちのめされてしまい、精神的に参ってしまったと言われています。

そのため、ロバートはイリノイ州の精神病院に収容しました。

メアリーは退院するまでに回復しましたが、メアリーとロバートの関係は悪化してしまい、完全に和解する事はなかったと言われています。

まとめ

いかがでしょうか。

リンカーンの子孫は4人いましたが、最終的に生き延びたのはたった1人のロバートだけでした。

そしてロバートは駐英大使を勤めており、先ほども述べた通り共通点の多いケネディの場合は父親のジョセフが駐英大使だったということも2人の共通点の1つとなっています。

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